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トートバッグ(カンボジア伝統布クロマー)
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トートバッグ(カンボジア伝統布クロマー)

カンボジアの伝統を日常の中で持ち歩く。 旅の思い出を、旅に出る開放感を、忙しい毎日の中で、ふとしたときにトートバッグがきっとあなたに届けてくれます。 プノンペンの工房で作られたトートバッグ。 その一番のポイントはトートバッグの中側の生地です。 ジッパーを開けたとき、あなたの目に飛び込むのはカンボジアの伝統布クロマー(SuiJoh限定の虹色クロマー)。あなたの日常に彩りを与えてくれる、そんなトートバッグです。 また前面のシルクスクリーンプリントは職人が一つひとつプリントしています。 <シルクスクリーンプリントのカラー> ・白 ・黄 ・赤 ・緑 ・ピンク ・グレー ・ゴールド 各カラーは写真の最後に掲載しているのでご覧ください。 <ロゴパターン> ・Sui Joh ・月桂樹 <サイズ> 横:約43cm(下底 約34cm) 高さ:約28cm マチ:約10cm
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SuiJoh
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品物のハイライト

この品物の注目して欲しいポイント

文化伝統
地域への愛
人々への愛
手作り
限られた品物

作り手

品物の生産に関わった作り手の顔とコメント

Kourn Sokheng
日本のみなさん、初めまして。ヘインと言います。 SuiJohで働き始めて7年。テーラー歴20年になります。3人の子供の父でもあります。 SuiJohのモノづくりを介して、みなさんの日常に笑顔や優しさがうまれて、着るもの持つものにより愛着がわいてくれたら嬉しいです。 そしていつの日か、カンボジアへも遊びにきてください。 私も家族やSuiJohの皆でいつの日か、日本に行ける日を夢見ています。
テーラー
Khiev Sotha
SuiJohが設立された2012年から3年前まで働いていましたが、違うキャリアも経験したく一度退職しました。 でも、SuiJohのメンバーとの居心地の良さや、モノづくりにかける情熱、私自身もデザインを考え、型紙を作り、そして縫製する。そのシャツやドレスをお客さんが着て、笑顔になってくれる。そんな光景がとても好きで、2022年1月にまたSuiJohに戻ってきました。 気に入っていただけると嬉しいです。
テーラー

生産地

品物が作られた場所

プノンペン、カンボジア

原材料

品物の素材や原料

自然素材の割合
100%

ポリエステル

100%

SDGsへの貢献

この品物がどのSGDsに貢献しているか

SDGsに関する詳細レポート
SuiJohは設立当時(2012)よりSGDsと言う単語はない中でも、一番に考えて来たのが「観光資源がシェムリアップのようにあるわけでないプノンペンが、魅力を放ち続け、人々が住み続け、人々が交わる街づくり」に関われる、そんな存在でありたい、と言うことでした。
今でもその想いは変わらず、プノンペンにオーダーメイドでき世界で一つだけのアイテムを作れる、その場所の一つがSuiJohであり、プノンペンを訪ねる小さな動機になることを願っております。
そしてそれが貧困の減少や経済成長にもつながるのでは、と考えています。

影響・効果

社会にどんな影響・効果があるのか

SuiJohのスローガンは"あなたの日常に彩りを"です。あなたがハッピーになれば、周りにも笑顔が伝達し、幸せの輪が広がることが社会をより住みやすく暖かな環境に導きます。

レア度

品物の希少性

容易く手に入らない
SuiJoh
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特定商取引法に基づく表記

Story

品物のストーリー

SuiJohは2012年、テーラーメイドシャツを主体にプノンペンでうまれたブランドです。

2012年 プノンペン市内の大学院で開発学を学んでいた浅野(設立者)は、多くの人(外国人のみならず、カンボジア人も)が"Made in Cambodia”は質が悪いというイメージを持っていることに大きな寂しさを覚えました。

時を同じくして、縫製の技術指導としてプノンペンに来ていたパタンナーの日本人とのご縁により、アパレル業界、縫製の基礎を学ぶなかでカンボジア人の手先の器用さなども知ることになりました。

カンボジア人の器用さと日本人の技術を掛け合われば、"Made in Cambodia”のイメージを僕でも少しは向上させれるかもしれない、そんな想いから浅野は自作した型紙を持って、自転車で市内のテーラーを渡り歩き、協業できるパートナーを探す旅が始まりました。

その後、最大プノンペン3店舗、シェムリアップ3店舗まで拡大したものの、コロナ禍の影響を受け、現在(2022年1月)はプノンペン市内に2店舗にて営業中。
プノンペンの本店工房では、モノづくりの現場をご覧頂くことができます。

Learn Stories of Makers

「『何者かになりたい』

その想いが見つけたカンボジアへの愛」


アンコールワットなど歴史的建造物で有名なカンボジア。このカンボジアで暮らし、カンボジア発のブランドを立ち上げたのがSuiJoh(すいじょう)のオーナー浅野さん。

「何者かになりたかった。いつか死ぬ時に自分の人生を駆け抜けたと言いたい」そう思い会社を辞めカンボジアへ移住。そしてSuiJohというアパレルブランドを立ち上げた。

しかし、ここまでの経緯には両親の会社の倒産で180度変わる人生、生死をさまよう大病、普通の人の人生では味わえないような経験があった。

「カンボジアに行けば自分も何者かになれるかもしれない」そんな浅野さんがカンボジアで見つけた自分とは?カンボジア発のブランドSuiJohオーナーの浅野さんの想いとストーリーを聞いた。


「何をしても挫折続きだった幼少時代」


先祖代々続く町工場を営む両親の元に生まれた浅野さん。

「いつか佑介(浅野さん)がこの工場の後を継ぐんだぞ」と言われ続け育った。両親だけでなく、祖父、そして従業員の人たちも末は社長の浅野さんを可愛がり、その周囲の期待と愛情を小さい体に背負って生きていた。

しかし、水も肥料も与えすぎてしまうと綺麗な花も咲かないように、一身に受けた愛情に浅野さんは応えることができず、芯が抜け腑抜けてしまった幼少だったと言う。


空手、柔道、塾。習い事を初めても少しかじった程度で辞めてしまう。周りがギターを始めたから自分も始める、ただバンドを組むまでの努力をしない。自分が心から好きな事、何がやりたいかと言うことも分からず、周りが始めたから自分もやる。自分で何かを始めるという経験をした事がなかった。


「会社の倒産。初めて自分の力で生きる」


そんな腑抜けた浅野さんに神様は喝を入れようとしたのか、人生を変えるような事態が訪れる。

2001年9月11日。アメリカで同時多発テロが起きた。その事件においての直接の被害はないのだが、同時多発テロが世界に与える影響は日本の浅野さんのお父さんの会社にも届いた。連鎖倒産でお父さんの会社までも倒産する事態に陥ってしまったのだ。

今まで裕福な暮らしをさせてもらっていた浅野さんであったが、急転して3度の食も満足にとれないほど暮らしが貧しくなった。取り立てに来た人に捕まり、お年玉をとられたりもした。

当時大学生だった浅野さん。家の状況のために大学を辞めようとするが、親に奨学金を申請してでもいいから卒業してほしいと頼み込まれる。

ただ庭付きの家から狭小の家に引越し、身に沁みる寒さと、貧しくなった現実。家の中でひたすら、ジリジリと砂を噛むような時間が過ぎていく。


今まで温室でぬくぬくと育っていた浅野さん。
急に寒空に放り出された現実を直視する事を避けるためだったのか、その当時は読書に耽っていた。こんな自分にだって小説の主人公のような「何者」かになれる。そんな日はきっと来る。

読書に耽っていた中で沢木耕太郎の深夜特急の主人公が当時の浅野さんにはカッコ良く映った。

世界を旅することによって、文字通り新たな世界が広がり、それだけでなく自分を内省し、心の世界が大きくなっていく。今の自分は経済的にも真っ暗闇。自分に誇れるものも何一つない。こんな自分だとしても、旅をしたら何かが変わるのではないか。

自力で貯めたお金で旅をしてこよう。

芯がない温室育ちだった子供が、初めて外に出る。

「大人が無邪気に遊んでいる」


タイ、カンボジア、ベトナム、マレーシアのアジア周遊の旅にでた。その中で浅野さんの一番心を打ったのがカンボジアだった。当時まだインターネットも発達していない段階で、本やテレビなどから入ってくるカンボジアの様子はネガティブそのものでしかなかった。

貧困、ポルポトの内戦、よもすら道を歩けば地雷でも踏んでしまうのではないか。

カンボジアに踏み入るのは不安でしかなかった。そして、そんな国で暮らす人たちはかわいそうなんだろうなって思っていた。


しかし恐る恐るカンボジアに踏み入るのだが、頭の中で描いていたカンボジアとイメージが全く違う。

見ず知らずの自分にさえ、皆が笑顔で迎えてくれて、子供も笑顔で無邪気に遊んでいる。かわいそうな人たち?どこにいるんだろう?

とあるカンボジアの村に行った時、カンボジア人のおばちゃんが当時痩せ細っていた浅野さんを見兼ねて「あなたはガリガリで心配だよ。もっと食べなさい」と言いながらご飯をたくさん無料で振る舞ってくれた。


カンボジアでは大人も子供と一緒になって遊んでいる。なんなら子供の遊び道具を大人が奪って遊んだりもする。大人が自分の欲求に正直になっている。

この国にいる時は自分も素直だ。

心から笑っている自分はいつ以来だろう。もっと自分に素直に生きても良いのかな?

もちろんカンボジアはものが溢れているわけではない。家の調味料がなければ隣の人に借りにいく。でもこんな関係が幸せではないか?

温室育ちだった浅野さん。

カンボジアに滞在したのはたった10日間。

だが浅野さんの心の中の腐っていた花を咲かすには、カンボジアは何よりもの水と肥料だった。


「襲った悪夢」


心の中にカンボジアでの思い出でという宝物を詰めた浅野さん。

しかしそのカンボジアでの時間も一時の夢にしかすぎず、日本に帰ってきてからは再び日本での生活だ。

大学を卒業し、いつかまた海外に行きたいとの想いを抱え、ワーキングホリデーで英語の勉強などをするも、結局は日本の出版社で働く。しかし担当していた雑誌の休刊に伴い、IT系の会社に就職。

何者かになれるわけでもなく嫌々ながらも働き、金曜日の晩は会社の愚痴や将来の夢をつまみに同僚と安酒を飲む。給料が入ってくれば、これはこの人生でもいいのかなと自分を慰める。たまに心の中にしまっていたカンボジアでの思い出を思い返し「カンボジアは楽しかったな」と思い出に時折浸っていた。


しかし26歳。

またしても浅野さんの人生を変える出来事が起こる。

その日は仕事も繁忙期でろくに休憩も取れず忙しい日だった。

駅の改札を出たところで浅野さんは倒れた。

正確な話しをすると、浅野さんには倒れた時の記憶はもうすでにない。倒れていたらしい。いつの間にか病院に運ばれていた。




すぐさま病院で診断され「脳動静脈奇形」と診断された。この病気を放置しておくと脳内出血し、死にいたるかもしれないから今後手術し、経過を診ていこうと医者から言われた。

しかし

その手術を受けた3ヶ月、恐れていた脳内出血を発症してしまう。

亡くなってもおかしくない脳内出血。

幸いなことは命を取り留めてくれたこと。そして次に幸いなのは最初は記憶力が著しい低下もあれどリハビリを経て、記憶障害、身体など障害など何も残らずに回復してくれたこと。


そして神様はもう一つの幸いを浅野さんに与えた。

死の縁を彷徨う経験をして、改めて「生きること」を考えるきっかけを作ってくれた。

今まで自分は人生で何一つ成し遂げることができなかった。習い事も続かないし、就職しても現状に甘んじて、愚痴をこぼしてばかり。

この生きている命。自分の好きな自分になるためには、ここがチャンスなのではないか。

「何者かになる」ラストチャンスが今だ。

覚悟を決めろ、自分。

「いざカンボジアへ」


自分が一番好きだった場所。自分が一番自分らしくいられる場所。思いかえすと、それがカンボジアだったかもしれない。カンボジアに行けば、こんな自分だって何者かになれる。

浅野さんはカンボジアの大学院に進学する決意をした。

そしてカンボジアに移住し、日中はカンボジアで自分が何をできるかのリサーチをし、夜は大学院に通い開発学の勉強をする。日本への退路は絶って、この国で何者かになる覚悟を決めた。

何が自分にチャンスがあるのか、露店や、カンボジアに住んでいる外国人、色んな人と出会いアイディアを練っていた。


「できないのではない。知らないだけ」


元々洋服が好きだった浅野さん。カンボジアで日本から持ってきた好きな洋服が埃と汗染み油ですぐに汚くなっていたのには困っていた。

ただここカンボジアで洋服の仕立て屋さんで洋服をオーダーすると、自分の好きなデザインの洋服が日本では考えられない安さでできる。しかもカンボジアのテーラーさんのクオリティーの高さに感動した。


しかしオーダーした洋服もいいお店もあるが、別のお店でオーダーすると穴が空いているものを作られたりなどのミスがある。

「やっぱりカンボジアはクオリティが低いのか・・・」と思う日々。時を同じくして、縫製工場をプノンペンの経済特区でスタートさせる社長と出会った浅野さん。

大学院へ行く前の時間、設立のお手伝いなどをする中で、日本人の技術者と仲よくなっていった。ある日、一緒にご飯を食べながらオーダーしてもクオリティにバラ付きがあり着れないシャツが増えていることを世間話で伝えた。

「カンボジア人のテーラーは縫う技術はあるけど、型紙に起こし微修正する工程をしない人も多い。そんなにシャツが好きなら型紙の作り方教えるけど、勉強するか?」


最初は自分の好きな洋服を作りたいと思った浅野さん。型紙を自分で作れるようにして、習おうと思った。

自分が型紙から作り、完成した洋服をSNSでアップしていたら、日本の友人から「私の好きなデザインした洋服も作ってよ」と色々とお声がかかるようになった。

カンボジアでも型紙を作るなどの洋服作りのノウハウさえ学べば、カンボジア人も世界でもどこにも負けないいいものが作れる。

もしや・・・洋服にカンボジアの勝機があるのかも。

浅野さんはカンボジアで洋服作りに掛けてみようと思った。何者かになれる自分を夢見て。


「SuiJohの誕生」


洋服がなぜ価値があるのか。それは洋服の生地や製法の良さ、それ以上にブランドの名前があるからだろう。当時のカンボジアではカンボジア発のブランドというものが多少あるにせよ、ほとんどないと言ってよかった。

それなら自分がカンボジア発の「ブランド」を作ってしまおう。


地球は7割が水の惑星だ。
水の上をつたっていけば世界中どこにでも行くことができる。
今の時代なんでも飛行機の速さで行おうとするけれど、ボートのようなゆっくりなスピードで、この商品を手に取った人の喜びが、水上に広がる波紋のように広がってほしい。

カンボジア製の洋服は質が低いと思われたくない。
カンボジアの人ができないのではない。今まで知らなかっただけ。彼らにも洋服の作り方、仕事の仕方、カンボジアの強み、魅力を引き出せれば世界のどこにも負けないアイテムが作れる。

そんな経験を通して、自分の大好きなカンボジアが、カンボジア人自身が、自分の国のプライドを持ってほしい。


そう思った背景には浅野さんがカンボジアで生活する中で感じた”違和感”があった。

例えばカンボジア代表のサッカーの試合があると数万人がスタジアムに集まり皆”Khmer Pride”(カンボジアの誇りを)とSNSで書き込みが目立つ。あたかも多くのカンボジア人が自国に誇りを持っているように見受けられた。

しかしカンボジア人のクラスメイトや友人に服はどこの国製が良いかと聞くと誰も”カンボジア製”とは返さない。

多くの人は”野菜はカンボジアだけど、野菜以外は隣国の方がマシ”と返してくる。

この大きな隔たりは何なのか、それがどこか寂しかった。


まずは洋服の型紙を自分で作り、自転車を漕ぎながら洋服を作ってくれるテーラーを回り、自分の想いに共感してくれるカンボジア人テーラーを探した。

1、2ヶ月カンボジア中を練り回って、自分と気持ちが似通ったテーラーさんをやっとの思いで探し見つけ出し、そしてオーダーメイドの洋服を生産するようになった。

2015年にはプノンペンに工房兼本店をオープン。

「カンボジアで何者かになりたい」その目標に近づいていっている。


浅野さんのSuiJohは他の海外に生産拠点を置いているブランドと大きく違うところが一つある。

それが浅野さん自身がカンボジアで暮らしていることだ。

一緒に働いているカンボジアの従業員とは家族ぐるみの付き合い。カンボジアのお祭りも一緒に祝い、家族の行事などにも参加する。より深く従業員を知っているから、単なる仕事のパートナーではなく人としての情も湧いてきてしまう。


浅野さんはまさに従業員の人生を背負ったという感覚と言っても過言ではない。

現在一緒に仕事している人たちの中にはSuiJohの黎明期から働いている人もいる。

浅野さんの家のベランダにミシンを置いて、浅野さんを信じて働いてくれたテーラー。英語や計算ができるわけではない。だがテーラーとして能力はピカイチで、洋服を見ただけで、頭の中でその型紙をおこすことができる。これだけの才能に長けた人は世界中探しても中々いない。

マネージャーの女性のカンボジアの従業員はSuiJohにとっての心臓だと嬉しそうに語る浅野さん。お客様との接客スキルもそうだが、他の従業員の気持ちをすぐに察知でき、悩みを聞いてあげたり、大きな問題になる前に潤滑油として大きな役割を果たしてもらっている。


現在ではオーダーメイドの洋服の他にも新たな商品を置いている。

こちらの商品などは浅野さんがデザインを考えたものではない。スタッフにデザインのコンペティションをやってもらい、その優勝者のデザインを採用している。

浅野さんがデザインなど全部仕事をしていていては「浅野のSuiJoh」になってしまう。

SuiJohは浅野さんのためのものではない。カンボジアの人にSuiJohを通してどんどん新しいスキルを得てほしい。このSuiJohで働いたカンボジアの人たちに誇りを持ってもらうため。


「カンボジアの従業員を幸せ者にしたい」


コロナなど大変な時もあったけど、それでも一度もお店をやめようと思ったことはない。
この従業員たちは家族ぐるみの付き合いで、もしもこの店が赤字になるようなら、自分が身銭を切ってでも従業員を守っていく覚悟だという浅野さん。

昔は将来の目標といえばカンボジア人に「カンボジアのハンドメイドブランドは?」と聞いたら「SuiJoh」と答えてくれるようになることだった。


だけどコロナの危機などを通して今の自分自身の目標は「今、働いてくれている従業員をもっと幸せにすることだ」と浅野さん。

「SuiJohで働いていることが誇り」「SuiJohで働いているおかげで私の家族も十分に幸せにできている」と言ってもらえるように。

ずっと「何者かになりたい」と思っていた浅野さん。
カンボジアで見つけた新たな自分は「カンボジアの従業員を幸せ者にさせたい」

きっと浅野さんはカンボジアで、大事な従業員に囲まれた、何者かになれたのだろう。