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さざなみヘアターバン
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さざなみヘアターバン

藍染コットンと丹後ちりめんを組み合わせたヘアターバン。海をイメージした藍染と、上品に輝く丹後ちりめんを波のきらめきに見立てて。ユニークな表情の藍染は手染めのため1点ずつ違う仕上がりに。藍染とちりめんをフロントクロスで切替たデザインと、藍染のみのパターンをご用意しました。どちらも首元は柔らかいポリエステルちりめんを使用しています。お気に入りの1枚で丹後の海をまとって。 *1点ずつ藍染の表情が異なります。お手元に届くまで楽しみにお待ちください。デザイナーがセレクトして発送します。 洗濯機でのお洗濯が可能です。色移りを防ぐため他の衣料と分けて、洗濯ネットを使用し弱洗い設定にしてください
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PARANOMAD
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さざなみヘアターバン・藍染
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品物のハイライト

この品物の注目して欲しいポイント

文化伝統
地域への愛
匠の技
手作り
限られた品物

作り手

品物の生産に関わった作り手の顔とコメント

原田美帆
人生を共に旅するテキスタイル PARANOMADは、京都・丹後をベースに国内各地の織物産地とつながり、企画から制作までを行うテキスタイルスタジオです。ストール、バッグ、クッションカバーなどの製品は、1点ずつ色や表情が異なるユニークな仕上がり。あなただけの特別な「ひときれ 」に出会えますように。 ブランド名「パラノマド」は私自身のニックネーム「パラ」と「窓」を組み合わせた造語。テキスタイルが暮らしに寄りそう存在となり、人生を一緒に旅するように願い「nomad(ノマド)=遊牧民」とも掛け合わせています。
デザイナー・メイカー
TRIP 1
丹菱(たんりょう )は 『海の京都』京都府北部の与謝野町にて、日本の伝統織物である京都丹後ちりめんの製造を手がけてきた会社です。正絹ちりめんで培った技法を活かして、ポリエステルやレーヨンの化合繊を使った服地、風呂敷、和装小物、インテリア雑貨なども製作。 「TRIP 1」は、丹菱オリジナルのアパレルブランドです。シワになりにくい丹後ちりめんのメリットを活かしたお洋服や服飾雑貨をご提案しています。旅先でも日常でも、この1着があれば安心できる。光沢のある贅沢な生地感。さまざまなシーンで活躍してくれる1着を作ります。いつも頼りになる、どこにでも連れて行きたくなる1着を。
コラボレートパートナー

生産地

品物が作られた場所

与謝野町

原材料

品物の素材や原料

自然素材の割合
80%

綿

80%

ポリエステル

20%

SDGsへの貢献

この品物がどのSGDsに貢献しているか

SDGsに関する詳細レポート
藍染は天然染料のため太陽や蛍光灯などの紫外線で日焼けを起こすことがあります。着用しないときは光が当たらないように保管してください。クリーニングや染め直しなどのご相談をお受けしております。染め直しは、元と同じように仕上げることは難しいですが新しい色との出会いとご了承いただけましたら幸いです。末長くご愛用ください。

影響・効果

社会にどんな影響・効果があるのか

日本有数の織物産地・丹後の作り手や加工場を支える

レア度

品物の希少性

この星で唯一
PARANOMAD
PARANOMAD
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特定商取引法に基づく表記

Story

品物のストーリー

パラノマドが織り上げるテキスタイルには、この地で紡がれてきた織物の伝統が受け継がれています。
代表の原田は2015年に丹後に移住。
ジャカード織という技術を学び、現代的なデザインのテキスタイル制作を始めました。
さざなみヘアターバンに使用してるコットンもデザイン・織り・染めも一貫生産しています。
丹後ちりめんは老舗のファクトリーブランド「TRIP1 」製で、2社のコラボレーションとして誕生しました。

Learn Stories of Makers

「世界に一つの窓に、世界に一枚のカーテンを」


「織物は彫刻」そのように話すのはPARANOMADの代表の原田美帆さん。芸術大学で彫刻を学び、その後はインテリアデザイナー、アーティストのアシスタントなどの職を経て、現在は織物の街として名高い京都の丹後・与謝野町に移住。

「色も、図案も、質感さえも。ゼロからデザインする本当のオーダーカーテンを届けたい」
という想いのオリジナルのカーテンを初めとして、丹後の織物を活用してのアパレル雑貨などを販売している。

新築の家に、家具の何もない無機質な壁で囲まれた部屋を想像してほしい。
その部屋にたった一枚でもカーテンのように柔らかい素材が組み込まれることで、空間が一気に暖かくなり、それまでの空間が見違えて見えるのではないだろうか。

たった布一枚。でも布が空間に与える力は無限大。

そのような布の力を信じて活動しているPARANOMADの原田さんの想いとストーリーを聞いた。


「芸術の人生を志すが…」


兵庫県川西市出身の原田さん。
小さい時から絵を描くことが好きで、将来は芸大に行きたいと思っていた。そして念願通りに芸大に進学し彫刻を勉強する。

しかし学生時代の当時を振り返ると、視野が狭かったと話す。作品が評価されないと、自分の人生や人格までが否定されてしまうような気持ちになってしまい、元々好きであった創作活動が怖くなってしまっていた。

大学院時代の作品。スウェーデンの森で撮影。
学生時代から布を素材として使ったり
洗濯物がはためく風景をモチーフにしたりと「テキスタイル」に惹かれていた。

彫刻、現代アートでアーティストになりたいという目標も持っていたが、自分の芸術の限界も感じ、大学院卒業後は建築会社のインテリアデザイナーとして就職する。

「創作から離れることは心の休息に。改めて芸術と向き合う」


原田さんは一度、自分の描いた道から外れることになった。
思いがけない会社員生活であったが、凝り固まっていた視野を広げるのにはちょうど良かった。


インテリアデザイナーとしてお客様の要望に合わせて快適な空間を作るためのアドバイスをする。中には原田さんのデザインセンスを買ってくれ「原田さんにすべてを一任します」と言ってもらえることもあった。

自分はもう芸術性を活かして生きることはもうできないと思っていたが、再び芸術で生きる自分の輝きを取り戻せた。

「再び自分の人生に芸術を」


原田さんはインテリアコーディネーターとして、自分の力を活かせ、生きがいを感じていた。

学生時代には芸術に関して弱気になっていた原田さんであったが、もう一度自分を芸術の中に身を置きたいと思うようになった。そして、世界的に有名な芸術家のアシスタントとして働くことを決心する。

あらためて芸術に身をおくことで刺激にもなった。自分が製作するのではなくても、芸術の中に身を置く自分がしっくりとする。

その一方で、世界的に有名な彫刻家の元でのアシスタント。要求は高く、深夜まで作業が続くこともあった。原田さんもアシスタントの仕事を4年続けていたが、激務で身体がもたないのも事実だった。そしてアシスタントも卒業の時機がやってきた。

しかし原田さんは、次なる自分の行く先も見つけていた。

それが「オリジナルの布を作る」ことだった。


「布が空間に与える力は無限大」


「オリジナルの布」に興味を持ったのは会社員時代に遡る。インテリアコーディネーターとして働いていた時だ。

新築のまだ家具など何もない家の状態。
硬質な壁に一枚の布があるだけで、空間がふわっと柔らかく、暖かい印象に変わる。たった一枚の布が与える空間の力に感動したそうだ。


また彫刻家のアシスタントの仕事を辞める時期は、東日本大震災があり、地震の影響により国民全体で生活の価値観の変化があった。

今まではブランドものにお金を使っていた人たちも、あらためて家族などへの重要さを感じるようになり、家のもの、カーテンなどにお金を使おうとするようになった。

元々インテリアコーディネーターとして働いていた原田さんの元にも、友人などからカーテンについての相談が多くあった。


大学時代には芸術に一直線過ぎて、自分を見失うこともあった。
しかし、神様が示し合わせてくれたかのうように原田さんに布で生きる道を提示してくれた。

タイミングが良ければ、必ず物事は起こるものだ。

布を使って活躍できる場所を考えて辿り着いたのが現在の京都の与謝野町だった。

「ちりめんの町。丹後・与謝野より」


京都の丹後・与謝野町との出会いはひょんな偶然がきっかけだった。

撮影:衣笠名津美

学生時代の知り合いが、京都の丹後で学生団体の地域活性のプロジェクトをやっていた。

そのプロジェクトの事務局が必要になり、丹後は機織りで有名な街ということを知っていた友人が、原田さんに地域おこし協力隊の枠で、とりあえず布の繋がりを作るためにも丹後に行ってみればとアドバイスをしてくれた。

そして原田さんは丹後に移り住み、学生団体の活動をしつつ、布で自分の生きる術を見つけようとした。

与謝野町 祭りの風景

与謝野町に移り住んでみると、町長を初め、町民の人たちとの触れ合いは、ほのぼのと気持ちが暖かくなる。

街の風景は綺麗だし、食事も美味しい。

何より、与謝野町は織物の「ちりめん」と共に栄えた町だ。大正から昭和にちりめん産業で賑わい、栄華を築いてきた。そのような与謝野町の旧街道は「ちりめん街道」と呼ばれ、昔の商家や医院、銀行などの古い建物が当時の栄えた歴史を残してくれている。

布の産業がある街なので、丁寧に使い込まれた古い道具などを使っていたり、職人ひとりひとりの技術のレベルの高さに原田さんは衝撃を覚えた。

今までアーティストの元で働いたり、芸大の先生も多く出会ってきたが、地場産業でずっとものを作ってきた人たちには職人の強さがあり、尊敬の念を覚えるほどだった。


「PARANOMAD(パラノマド)」


原田さんの愛称は「パラちゃん」。自分の愛称とカーテンを飾る「窓」をとっての「PARANOMAD(パラノマド)」
布が暮らしに寄りそう存在となり、人生を一緒に旅するようにと願い「nomad(ノマド)=遊牧民」とも掛け合わせている。

原田さんは「PARANOMAD(パラノマド)」の代表・デザイナーとして丹後の与謝野町を拠点として、オリジナルカーテンを作っている。


原田さんのカーテン作りは、寸法、色、柄を決めるだけでなく、その使ってくれる人の要望や趣向などを聞き取り、家に相応しいカーテンを作っていく。なので、オーダーカーテンを注文する場合は、可能な限り家や場所に足を運ぶようにして、家の雰囲気や使う人の気持ちに寄り添い製作をする。

PARANOMADの織物は、国内でも希少な仕様のレピア織機を使い糸に負担をかけないようにゆっくりと織り上げている。

刷毛によるグラデーション染め、ニードルパンチ加工を使ったフェルト加工など、ほとんどのプロダクトが1点ものの仕上がりだ。



「丹後のテキスタイル(織物)を広げるために」

現在は織物の魅力を広めるため、そして丹後の魅力を広めるためにも、オリジナルカーテンだけに拘らず、アパレル雑貨なども作っている。

Tells marketに掲載している商品は、PARANOMADの自社単品で製作した商品でなく、丹後の中で同じ想いをもった方達との共同で作られた商品だ。

丹後の地域の中でものづくりの輪があり、丹後のものづくりの良さ、丹後の魅力を外に広めていくことで新たな可能性を生み出そうとしている。


「HAÖRI」

こちらは日本のものづくりに深い造詣を持つAnais Guery氏のデザインの一品。

湿度の高い日本の風土において、通気性に優れていた着物の形状を意識したデザインを施した。

快適さと洗練を兼ね備えたデザインは、ルームウェアからタウンユース、パーティーシーンまで着こなしを楽しめる1着だ。


「さざなみヘアターバン」

藍染コットンと丹後ちりめんを組み合わせたヘアターバン。

海をイメージした藍染と上品に輝く丹後ちりめんを、波のきらめきに見立てている。

ユニークな表情の藍染は手染めのため1点ずつ違う仕上がりになる。藍染とちりめんをフロントクロスで切替たデザインと、藍染のみのパターンがある。どちらも首元は柔らかいポリエステルちりめんを使用している。


「藍の火袋_hibukuro」

提灯製作の老舗・小嶋商店とパラノマドのコラボレーションアイテム。

パラノマドが織り上げるテキスタイルには、丹後で紡がれてきた織物の伝統が受け継がれている。
原田さんが藍の火袋に使用しているコットンのデザイン・織り・染めを手がけている。

火袋(小)では通常の綿ロープを“藤紐”に替えるオプションも選ぶことができる。

丹後・上世屋集落に伝えられる「丹後の藤織り」を手がける藤織り工房による手仕事の逸品だ。


「草木染ミツロウラップ」

コットンリネンの生地にオーガニックのミツロウとオイル、植物樹脂でコーティングしたミツロウラップ。

生地は京都・丹後で織り上げ、1枚ずつ草木染めをほどこしている。丹後の雄大な海をイメージし、藍染めをした『BLUE』と、機織り工場をイメージし、炭染をした『GRAY』の2色がある。

ミツロウには天然の防腐効果や、食品を乾燥から守る効果があり、パンやお菓子を包んだり、アウトドアシーンでもお皿やランチョンマットとしても使うことができる。使い込む度に変化していく色と風合いを楽しんでもらいたい。

「織物の《窓・MADO》へ」


2022年に丹後に自社工場をオープンしたPARANOMAD。丹後で長年築き上げた信頼を活かし、この工場を使い、丹後に新たな風を呼び込もうと《 – MADO – テキスタイルでつながりを生むファクトリー》を立ち上げようとしている。

織物の魅力を伝えるために、誰でも見学できるオープンな工場として稼働し、手機り体験もできるように設備を整える予定だ。そして、この《MADO》が産地の観光のひとつになってくれたらと願っている。

新しい《MADO》には丹後に興味のある人や学生さんを受け入れたり、インバウンドなどの観光客を受け入れたい。また丹後に住んでいる人が織物に関わりなかったりする現状もあるので、そのような人たちと織物を繋ぐ場所を作りたい。

この《MADO》が今後、丹後の窓口になってほしいという原田さんの想いである。


織物で丹後の人たちの「窓」になりたいとの想いには、原田さんの丹後への感謝がある。


織物のことは何も知らず産地にひとりでやって来たのに、本当に多くの協力と支援のおかげでここまで来ることができた。そのような丹後への恩返しとして、自分ができることをしていきたい。


織物だけにとどまらず、丹後の魅力をより世界へ発信し、世界から丹後の窓口として原田さんは存在し続けていく。