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「今あるものへの愛は地球を救う」
世界がものにあふれ、地球温暖化や異常気象など地球が大きな問題を抱えた後になって広まったエコやエシカルの考え。
日本人はエコの意識が低いのではないかと考える人もいるかもしれない。
しかし世界でエコやエシカル、アップサイクル、なんて言葉が流行るよりずっと前から、ここ日本ではものを大切にする気持ちが言葉になっていた。
「もったいない」「始末する」
何度も聴いて切れたカセットテープの修復
もう一度食べられるかもしれない”かいわれ大根”に水をやってみる
古着からお気に入りの一枚を選ぶ
先祖代々受け継がれてきた家業のタオル産業を受け継ぐ
特産品なのに地元の国際空港に売られていなかった泉州タオルを広める
地元の野菜も大好きなワインも抹茶も活用する
大正15年から受け継がれてきた「ふくろやタオル」5代目社長、袋谷 謙治さんの想いの根源にはいつも「もったいない」という気持ちがあった。
泉州タオルを世界へ。
泉州タオルのやわらかな魅力と「もったいない」の気持ちに共感する海外の人々が謙治さんの活動を後押しする。
バブル崩壊やコロナ禍。幾度とくるピンチをチャンスに変えて挑戦を続ける謙治さんにその想いとストーリーを聞いた。
「ものづくりへの想いをタオルへ 5代目の決心」
大阪府の泉州地域である泉佐野市。謙治さんは父が営むタオル工場の隣にある自宅で生まれた。
今でこそ関西国際空港がありインバウンドの方が訪れ国際的に栄えているが、空港がないころの泉州地域は緑が多く砂浜のある海も山も近い、自然が溢れた街だった。
日本のタオル二大産地の1つ泉州地域。
幼少の頃から大学生になるまではバブルの時期も重なり繊維産業が盛んな時期で、右肩上がりに会社が成長していた。
外に出るとタオル生地を積んだトラックが行き来していて町中に出るとミシンをかける音があちらこちらに聞こえる。
日常にタオル産業があることが当たり前だった。
小学生のころには社会見学で訪れる場に父の営む工場が選ばれ、少し誇らしく感じることもあった。
また、「ふくろやタオル」では、ただのタオルではなく企業の名前を刺繍の様に作りながら織り込んでいくオリジナルのタオルを作り上げていくところも、幼い頃から絵を描くことやものづくりが好きだった自分の好奇心をくすぐった。
いつか自分も継ぐのだろう、自然とそう思うようになっていた。
中学、高校生と上がるにつれて、芽生えていった価値観。
「もったいない」の思いが多くなり、壊れたものでも直そうと思うようになる。
カセットテープが切れたら分解してつなぎあわせてみたり、電化製品をなおしたり…エコやリユース、アップサイクルという言葉は当時なく、「もったいない」の気持ちが修理や再利用といった行動に繋がっていた。
絵を描くことが好き、ものづくりが好きだった謙治さんは芸大を志すようになった。
美術の先生からも推薦されていたが、家族にはことごとく反対されてしまった。
芸大を諦めて進んだ大学生活。
悶々とする日々が続いた。
「親は自分に跡を継いでほしいんだ。」
いつの間にか敷かれてしまっていたレールに気づくと、他の芝生が青く見えたのかもしれない。就職のタイミングでは、違う道を選んだ。
やはり何かを作り出すような仕事を選ぼう、そしてせっかくなら自分が全く知らない世界に飛び込んでみよう。たどり着いたのがコンピューターメーカーのシステム会社だった。
キーボードを叩く日々が続いた。
そんなとき、ふくろやタオルの頼れる工場長が60歳で退職するということを耳にした。
これからは海外製品の輸入が増えてくるだろうし、それならいっそのこと会社を畳んでしまおうか。父がそんな話をしているのを耳にした。
「もったいない」
後を継ぐ決意が固まった。
そして
誰にも相談せずに、退職届を提出した。
ものづくりができる、そんなワクワクもあった。
「”もったいない”の気持ちが生み出すアンサンブル
ふくろやタオルの挑戦」
しかし後を継いだ直後からが大変だった。
バブルが崩壊し、デフレの時期が到来した。
だんだん町中に響くミシンの音は小さくなっていった。
「あのタオル屋さんがお店を畳んだ、廃業した。」「あの工場や得意先が倒産した。」
少しずつ変わっていく町や市場の変化を目の当たりにしていた。
海外製のタオルが流通するようにもなり価格と勝負するしかないような日々。
「何をしに自分はもどってきたのだろうか。」
人を減らし、工場の中のことすべてを自分が行った。
そんなときに訪れた愛媛県。
研修旅行を兼ねて訪れた道後温泉への旅路で新たな気づきがあった。
飛行機で松山空港を訪れても、目的地の道後温泉でも「今治タオル」が目に入る。
戻ってきた関西空港で気付いたのは泉州にある関空には「泉州タオル」が置かれていないという事実だった。目の前にある国際空港で販売していない。目の前の空港から海外と繋がっているのに有効利用できていない事に「もったいない」衝撃を受けた。
その時、ここで地元の人にも喜んでもらえ、海外に向けて発信できるものを作りたいと決意した。
耐えに耐えたそんな時代の後、日本で見直さてきた「国内のものづくりを見直そう」という考え方や価値観。
時代の流れに乗って、ふくろやタオルオリジナルのものづくりをするようになった。
最初に作ったのは”水なす” ちょうど従妹が水なすのお漬物屋さんを営んでいたので形の悪い原料が手に入りやすくそれで染めたタオル。ちょうど試作をしていたころに、従妹の結婚の話があり、試作品を引き出物への提案をしたところ、快く採用してもらった。結果的に新しい門出の品となり、評判もとても良かった。
道後温泉に一緒に行った友人は農業をしていた。
友人もまた、多くの問題を抱えていた。
どんなに思いを込めて作っても価格を下げられてしまったり、売れ残ることがある。
そんな友人と意気投合し、水なすから始まった野菜染めの種類を増やしていった。
これがきっかけでできたのが5種類の野菜から作った野菜染めの「雫~SHIZUKU~」。
水なす、泉州たまねぎ、彩誉にんじん、大阪産バジル、松波キャベツ。
形が悪かったり売れなかった”もったいない”野菜を活用している。
地元の人達がお土産に持っていきたくなるようなタオル。
産地のことや生産背景を知ってもらえるようなそんな商品に仕上げた。
そしてコロナ禍での海外進出。
オンライン商談会で海外8カ国ほど店舗とのマッチングがあった。
和泉山脈に蓄えられた地下の軟水に近い良質の水によって仕上げる泉州タオルは柔らかく白く仕上がる。
野菜染めがエシカルであることだけでなく、硬水で作ることの多い海外のタオルとの肌触りの違いも好評だった。
ふくろやタオルのこだわり。
漂白剤・蛍光増白剤・柔軟剤を使わないタオルが多い。
これにより野菜の天然の色をナチュラルに出している。
やわらかく、吸水性にも優れる。
泉州タオの製法は「後晒しタオル」。生産効率も良く、良質の水を大切に使い不純物や油分を洗い長し、やわかく吸水の良いタオルに仕上げる。また地球環境にも良い製法といわれることがある。
飲食が好きな袋谷さんが次に考えたのは大阪のワインを使って染めた「NOKORI-FUKU のこり福」。
醸造をしたワインのタンクに残ったものから染めの色を出した。
まさに「のこり物には福がある」。
そして、「washi matou和紙纏う」。
リサイクルコットンと和紙の糸をかけ合わせたタオルはアメリカでクラウドファンディングをして作成した。
和紙が入った糸で織り上げたタオルは吸水力が高く乾きやすい。
古くから日本の生活に寄り添ってきた和紙の良いところを現代の生活に取り込み製品にし海外に向けて展開している。
「過去に立ち返ればたどり着ける先」
タオルづくりをするうちに謙治さんが気付いたことは
野菜だけではなく、タオルも元々綿花からできている農産物であること。
タオルは工業製品である以前に、綿から出来ている農産物であることに気づいた。
泉州地域はもともと綿の産地だった。
明治時代になり海外から綿が輸入されるようになるにつれて日本の綿産業は衰退していった。
アメリカで見学した綿花栽培や東日本大震災の後にはじまった東北コットンプロジェクトを通して気付かされるのはタオルは農産物であるというタオル産業の裏側。
裏で綿花を育てる農業を行なってくれている人がいることでタオルができていることを知ってもらいたい。
社会科見学で工場に訪れた小学生にタオルの原料を聞くと「ポリエステル」という答えが返ってきた。
そこで工場で綿を育て、小学生たちに綿花を見せて、これがタオルの原料であることを伝えるようになった。
小学校でも綿花を育てるようなコットンプロジェクトがあったら良いかも知れない。
今後の地球のために、ファストファッションだけではなく産地背景を知り、背景や産地、綿からつくられたものが選ばれるようになっていってほしい。
一時的に買いやすく便利な部分だけでなく、作っている背景を知ってほしい。
フランスにタオルの展示で訪れたときに、「日本人みたいに背中をタオルで洗ってみたい」タオルを搾って使うことが珍しいという声を聞いた。
日本文化に興味がある人が増えていることを肌で感じたと同時に、この日本文化が広まっていくこと自体が物を大事にする精神につながるのではないかと感じた。
今でこそ世界はSDGsやエシカルという言葉を使うが、そもそも日本人は古来から「もったいない」という精神でものを大切にしていた。
この日本文化をタオルを通じて広めていけたら、世界も人もより良くなっていくのではないだろうか。