lana blouse / 茶綿
Related Products
関連品物
namu tops / short sleeve / 生成り
¥16,500
siimee
namu tops / short sleeve / 藍染
¥16,500
siimee
namu tops / long sleeve / 生成り
¥18,700
siimee
namu tops / long sleeve / 茶綿
¥18,700
siimee
namu tops / long sleeve / 藍染
¥18,700
siimee
lana blouse / 生成り
¥23,100
siimee
lana blouse / 茶綿
¥23,100
siimee
lana blouse / 藍染
¥23,100
siimee
2 colors gather skirt
¥19,800
siimee
「旅するように生きる服」
みんなの違いをお互いが認め合える社会や世界になってほしい。
文化には優劣がない。
1人ひとりの個性にも優劣はない。
その良さをお互いが認め合える世の中になれば、世界がもっとよくなるのではないだろうか。
例えば、「東南アジアの人は時間を守らない」という人がいるかもしれないが、実際に世界を飛び回ってみて気づいたのは「そもそも守る人は多い。守らなかったとしても優先順位が違うだけなのではないか。」例えば、家族が最優先だから、仕事は遅い、とか。
そう知った時に、時間が遅いのはだらしないからじゃないんだな、と思える。
siimeeを日本とラオスを繋げる架け橋にしたい。
この活動には優劣もなければ、チャリティーでも支援でもない。
ラオスの素晴らしい人や文化を服を通して日本に届けている、siimeeのデザイナー梅谷菜穂さんに想いとストーリーを聞いた。
「文化の違いにワクワクした記憶」
「母が言うには、親が右って言うと左に行く感じの子だった。」と話す梅谷さん。
東京都八王子市で幼少期を過ごした。
海外に興味を抱いた最初の記憶は、幼稚園に通っていた時だ。
幼稚園の時のお遊戯会で、いろんな国の民族衣装を着て踊ったときに、はじめて「自分は日本にいて、世界がある。」
その時に世界の文化の豊かさにワクワクした気持ちが生まれた。
小学生のころ、何度か海外に行けそうで行けない体験をした。「シンガポールはゴミを捨てたら怒られるらしい。」とか、その度に文化の違いにワクワクしている自分がいたという。
中高生の時はクラシックバレエと卓球の部活で両立に奮闘し、目の前のやりたいことを全部やっていった。
英語教員を目指し、進学した大学では、「異文化コミュニケーション」を切り口に、文化や言語の多様性について学び始めた。
幼少期からずっと海外の文化にどことなくワクワクしていた梅谷さんの心に秘めていた好奇心が大きく前進しはじめた。
「ラオスの織りに魅せられて」
大学2年生の時に大学のプログラムで初めて行った海外はアメリカのポートランドだった。
現地の学生との関わりから、改めて異文化の面白さを感じた。
「人間の違う部分を探しに海外に行ったけど、みんな共通しているものも多いと知った。当たり前に感情を持っていたり、美味しいものは美味しく食べたり。その中に少しずつ違うものがあるから面白い。」
その後、大学時代にタイやベトナム、カンボジアなどの海外へ旅行やボランティアで訪れた。アメリカへの留学を機に「文化背景が異なる人ともコミュニケーションが取れる」という自信がついたと言う。さまざまな異文化に触れた梅谷さんは東南アジアに興味を持つようになった。
「その国の人たちが豊かになることをしたい。」
大学卒業後はインフラ系の商社に勤めた。発電プラントの輸出、アフターサービスを行う部署に配属された。
社会人1年目の夏休みに、10日間ラオスへ足を運んだ。ラオスの自然の豊かさや人の良さを感じ、直感で「ラオスに関わりたい!」と思ったという。
ラオスには日系企業が少なく、現地採用の求人は見つからなかった。そして何より、今の仕事をしていて、「自分はもっと草の根で何かをしたい」と思うようになっていた。1人ひとりの地元の人たちと向き合いたいという気持ちを持ち、退職後にJICAのコミュニティ開発隊員の一員としてラオスへ向かった。
任地の手工芸品の製品開発に携わることになり、どんなものがあるのか、その人たちがどれくらい収入を得られているのか、その人たちがそれをどうしたいのか、ということを調査することからスタートした。
ラオスの織物産業は伝統が染み付いていて、織物の巻きスカート「シン」が魅力的に感じたという。
生産者さんと関わっていく中で、ある女性に出会えた。
村の生産者グループのリーダー的存在だったその人は自分の織物に誇りを持っていて、いろんなところに自分の商品を売ってみたい、という意欲がありその姿に胸を打たれた。
「この人のためになら私は頑張れる。」
織物職人や仕立て屋さんとの出会い、後に梅谷さんのパートナーになる加藤さんとの活動から、JICAでの2年の任期が満了するまでに「私も作り手の1人になりたい。」「ラオスの織物を広めていく仕事をするために、自分もある程度作り手の目線になりたい」という思いが芽生えた。
2020年1月に帰国した梅谷さんはその時の4月から服飾の勉強を始めた。
お土産のようにそのひと時しか使わないものでなく、日本の人たちが長く使ってくれるものを商品にしたい。ラオスの人たちが丹精込めて作ったものに、しっかりと愛着を持ってほしい。
ラオスの糸は手紡ぎですごく気持ちが良い。ラオスの人たちは綿から手紡ぎで糸を作っている。
コストがかかるので手紡ぎの糸を使用している日本の洋服はほとんどない。しかし手紡ぎの糸は、糸の繊維の中に空気が混ざり込むので、冬は暖かく、夏は涼しい。ラオスの布は洋服に向いている。
2021年3月にブランドを設立した。
「siimee」
ブランド名のsiimeeはラオ語でsii「色」+mee「母」。母の色、母なる自然の色。
英語ではsee+mee。自分を見つめなおす。
ラオスに馴染みがない人にも商品を伝えたいと思い、親しみやすいブランド名を考えた。
コンセプトは『旅するように、生きる服。』
旅好きの梅谷さん自身が旅によってワクワクしたり、また頑張ろうと思えたり、未知のものに触れたりとか、自分を解放することができた。
毎日の忙しい日々の中で、旅をするときの解放感や、未知に触れる時のワクワクする気持ちを感じてもらうことをこのブランドを通して届けたい。
日本人は忙しい人が多くて、なかなか旅行に行けないが、siimeeの服を着ることで、旅する気持ちを思い出してもらいたい。
デザインは梅谷さんが手がけ、現地に行きラオスの人たちに日本の仕立て方を伝えた。一緒に縫うことで現地の人との信頼関係を築いた。その上で、品質の観点では厳しく確認をし、問題があれば直してもらい品質向上を目指した。
コットン素材を使用し、手で糸を紡いで、手織りしている。機械作業がいっさいない。これによりフワッとした素材になっていて、風通しもよく保温効果もある。涼しい時でも暑い時でも着られる。
全素材作りから染め、縫製までてを現地で行い、日本に輸送している。
ラオスに長く生活をして、ラオスの物作りの人たちの労力などもわかる梅谷さん。
なので現地の人たちが、洋服を作る仕事があることによって幸せになってほしいとの想いがある。
ただこのsiimeeの洋服をフェアトレードとうたって販売しようとは思っていない。この洋服が支援だと思わせたくない、この洋服に本来の価値を感じてほしいと言う。
ラオスには梅谷さんが尊敬する人がたくさんいて、支援という表現をされると、まるで経済的に劣っているだけなのに、人までが劣っているようで嫌だと思った。優劣ではない、そのものの良さを伝えたい。
「文化は、世界を繋ぐ糸になる」
日本とラオスを繋げることを軸にこれからの活動も考えている。ラオスと日本を行き来する二拠点生活はこれからも続く。
今後の活動としてはアパレルに重きを置きながらも、コーヒー豆を仕入れて日本で焙煎・販売をしたり、ラオスに足を運んでもらうツアーなど、ラオスを知ってもらうためのさまざまな活動を視野に入れている。
幼少期から異文化に興味を持ち続けた梅谷さん。
みんなの違いをお互いが認め合える世界になってほしい。文化には優劣がない。それを国を超えてお互いが良さを褒め合えるようになれば良いのではないかと思う。
草の根的な活動からこそ、他国のことを知り、尊敬しあえる関係作りができるのではないか。梅谷さんの思いや活動から、異文化を理解し合うことの本質を感じた。